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宙に浮かぶ物語

by ミケ

#京都タロット ※写真:マカオのアーティスト黄穎祥氏作-[be京都]さんにて

 京都タロットのカテゴリだけ、別ブログにしようかと真剣に考え中。

 縦書きのこちらのgoatブログさんは、余計な機能が一切なく、私の好みの権化のようなブログなのだが、京都タロットのテキストを書いている時のみ、奇妙な違和感を覚える。

 この違和感は当初から感じていて、なぜそう感じるのか不思議だったのだが、京都タロットに関してだけは、私はなぜか「孤立感」を必要としているのだとわかった。

 goatブログはコメント機能がもともと付いていないという希少なシステムで、そういう意味でも、孤立感溢れている感じが優れているのだが(笑)、京都タロットのことのみ、私はもっと、この感覚を欲している。日記といっしょくたにしているところに、淡い気色悪さを覚えるのだ。

 たぶん、私は、タロットの純粋性を追求していたいのだろうと思う。余計なものを混ぜてしまいたくないのだ。これを扱う人が好きに使うために。

 純粋性の追求というのは、実はあまり難しくない。外側の情報を遮断すること。ひたすら足元を掘っていくという作業。

 それは、「超然とした」というのは、多少言い過ぎではあるけれど、感情を超えた?感情が抜け落ちた?あとの、ただ物語だけが宙に浮いているのを、見て捉えるだけの作業とも言える。

 

 物語を善悪でジャッジするのではなく、単に、浮かんでいるそれを捉えるというだけ。

 かと言って、感情が1ミリも動いていないのかと言われれば、そういうわけではない。

 終始してキューンとしているというか、ただ「愛しい」という感覚だけが、ある。肉体の感覚として、ある。

 その儚さに、胸が締め付けられるような切ない何かが、いつも、ここに、ある。

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